最高裁判所第一小法廷 昭和52年(あ)308号 判決 1978年1月26日
主文
本件各上告を棄却する。
理由
一弁護人宇治宗義、同島崎良夫の上告趣意第一点のうち判例違反の主張について
第一審判決は、その理由の冒頭において、「被告人前田英吉は、昭和五〇年四月二七日施行の富山市議会議員選挙に際し、同選挙に立候補した村家幸作の選挙運動者で、かつ、同候補者の出納責任者であり、被告人岸本菊勇は、同候補者の選挙運動者である」としたうえ、第三事実として、「被告人前田英吉、同岸本菊勇の両名は、共謀のうえ、同年四月二六日ころ、富山市大泉東町二丁目一九番地村家幸作選挙事務所において、右候補者村家幸作に当選を得させる目的で、同候補者のため投票取りまとめの選挙運動をしたことの報酬として、同候補者の選挙運動者である 一 中川京子に対し、現金五万円 二 山下則子に対し、現金四万五、〇〇〇円 三 佐藤和子に対し、現金四万五、〇〇〇円 四 伊藤央子に対し、現金六万円を各供与した」と認定し、これらの行為は公職選挙法二二一条一項三号(被告人前田については、さらに同条三項三号)に該当すると判断した。原判決は、これを支持し、右各現金供与は選挙運動に使用する労務者に対して実費の弁償及び報酬の支払をしたにすぎないので事後報酬供与罪には該当しない旨の弁護人の主張につき、次のとおり判示した。「中川京子、山下則子、佐藤和子、伊藤央子らはいずれも原判示選挙の立候補者である村家幸作の街頭宣伝車による宣伝放送を依頼され、別に日当額も取決めないでこれを引受けたが、同女らは選挙区内を廻り、自動車上から、予め指示されたところに従い『村家、村家、村家幸作です。』『この度市議会議員に立候補いたしました村家幸作です。』『熱と実行の村家幸作です。』などといつて、同候補の氏名を宣伝するとともに住民や通行人に対し同候補への投票を依頼する旨の放送を繰り返したことが認められるところ、右の行為は、いずれも特定の選挙に関し、不特定多数の選挙人に対し、特定の候補者の氏名を告知し、該候補者に投票されたい旨直接働きかけて投票を勧誘するものであり、また、通行人や場所的状況に応じてその呼びかけの回数、方法、演出等にも裁量の余地がないわけではないから、これが単なる機械的労務行為ではなく、その行為自体の内容及び性質に照らして、候補者に当選を得しめるためになされたもので、正しく選挙運動にほかならず、そうすると、前記中川、同山下、同佐藤、同伊藤に供与された原判示の各金員は各その選挙運動に対する報酬といわねばならないこと。」と。所論は、この判断は所論引用の判例に違反するというのである。
所論引用の判例(名古屋高等裁判所昭和三〇年(う)第二七八号、第二七九号同年五月三一日判決・高刑集八巻六号七四九頁)は、公職選挙法二二一条一項四号(三号)の事後受供与の事案につき、受供与者が、本件と同様、自動車上の拡声器を使つて候補者に投票をするよう連呼したことを認定し、かつ、このような連呼行為が選挙運動としての本質を有するものであることを肯定しつつも、それは機械的な労働であるから、これを行う者は「選挙に使用する労務者」として適法に報酬の支給を受けることができる旨を判示している。したがつて、原判決は、所論のとおり、右判例と相反する判断をしたものといわなければならない。
そこで検討するのに、公職選挙法一九七条の二が「選挙運動のために使用する労務者」を「選挙運動に従事する者」としていないこと、同法一三七条の二が「選挙運動のための労務」を「選挙運動」として取り扱つていないこと、及び衆議院議員選挙法(大正一四年法律第四七号)以来労務者に関し現在と同様の立場が維持されてきたことを考慮すると、「選挙運動のための労務」とは選挙運動にあたらない行為をいい、したがつて、「選挙運動のために使用する労務者」とは公職選挙法二二一条にいう「選挙運動者」にあたらないものをいう、と解するのが相当である。
ところで、同法における選挙運動とは、特定の公職の選挙につき、特定の立候補者又は立候補者予定者のため投票を得又は得させる目的をもつて、直接又は間接に必要かつ有利な周旋、勧誘その他諸般の行為をすることをいい(当裁判所昭和三八年(あ)第九八四号同年一〇月二二日第三小法廷決定・刑集一七巻九号一七五五頁、同四九年(あ)第一七〇九号同五二年二月二四日第一小法廷判決・刑集三一巻一号一頁参照)、同法二二一条にいう選挙運動もこれと同様である。そして、選挙に関し候補者のために行われる行為は、たとい機械的な労働であつても、一般には、当該候補者のため投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為であることを否定しがたく、その行為の目的のいかんによつては選挙運動にあたるものといわなければならない。そこで、この目的の点について考えてみると、右にいう投票を得又は得させる目的とは、そのために直接又は間接に必要かつ有利な行為を行うことの認識をもつて足りるものではなく、その行為の性質からみてより積極的に右の目的のもとに当該行為に出たと認められる場合をさすものと解するのが相当である。すなわち、選挙演説のような、選挙民に対する投票の直接の勧誘行為については、その行為に出ること自体をもつて右の目的があるものと認定することができるが、ポスター貼りや葉書の宛名書きのような、選挙民に対する投票の直接の勧誘を内容としない行為については、これらの行為を自らの判断に基づいて積極的に行うなどの特別の事情があるときに限り、右の目的があるものと認定することができるのである。そうしてみると、「選挙運動のために使用する労務者」とは、選挙民に対し直接に投票を勧誘する行為又は自らの判断に基づいて積極的に投票を得又は得させるために直接、間接に必要、有利なことをするような行為、すなわち公職選挙法にいう選挙運動を行うことなく、専らそれ以外の労務に従事する者をさすものと解すべきことになる。
本件についてみるに、候補者の氏名を連呼して投票を勧誘する行為は、選挙民に対し直接に投票を勧誘するものであつて、右の選挙運動にほかならず、したがつて、その行為に従事した者は、同法二二一条にいう選挙運動者に該当し、同法一九七条の二にいう「選挙運動のために使用する労務者」には該当しないものというべきである。原判断は、その結論においてこれと異ならないので、所論引用の判例を変更し、原判決を維持するのが相当である。
二同第一点のその余の主張及び同第二点について
所論は、判例違反をいう点もあるが、実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の適法な上告理由にあたらない。
三結論
よつて、刑訴法四一〇条二項、四一四条、三九六条により、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。
(岸上康夫 団藤重光 藤崎萬里 本山享)
弁護人宇治宗義、同島崎良夫の上告趣意
原判決は、被告人らに対する公職選挙法違反被告事件の各控訴を棄却する旨言い渡したが、原判決中、第一審判示第三事実(被告人ら両名共謀のうえ中川京子ほか三名に対する現金供与。)につき、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、その結果、法令の解釈適用を誤つた違法があつて原判決を放棄しなければ著しく正義に反し、かつ、最高裁判所、他の高等裁判所の判例と相反する判断をなしたと認められるので、以下その理由を開陳する。
第一点 選挙運動における街頭宣伝車による宣伝放送員(以下単に放送員と略称する。)の法的性格についての事実誤認など。
原判決は右放送員の法的性格につき「原判示第三の事実に対応する原判決挙示の証拠を綜合すれば、中川京子、山下則子、佐藤和子、伊藤央子らはいずれも原判示選挙の立候補者である村家幸作の街頭宣伝車による宣伝放送を依頼され、別に日当額も取決めないで、これを引受けたが、同女らは選挙区内を廻り、自動車上から、予め指示されたところに従い「村家、村家、村家幸作です。」「熱と実行の村家幸作です。」などといつて同候補の氏名を宣伝するとともに住民や通行人に対し同候補への投票を依頼する旨の放送を繰り返したことが認められるところ、右行為はいずれも特定の選挙に関し、不特定多数の選挙人に対し、特定の候補者の氏名を告知し、該候補者に投票されたい旨、直接働きかけて投票を勧誘するものであり、また、通行人や場所的状況に応じてその呼びかけの回数、方法、演出等にも裁量の余地がないわけでないから、これが単なる機械的労務行為ではなく、その行為自体の内容及び性質に照らして、候補者に当選を得しめるためになされたもので、正しく選挙運動にほかならず、そうすると前記中川、同山下、同佐藤、同伊藤に供与された原判示の各金円は各その選挙運動に対する報酬といわねばならない。」と判示し、(判決書四枚目表。)第一審判決の認定を是認した。
しかしながら、先づ、放送員の行為が、選挙運動行為にあたるかどうかということと、それが買収罪における選挙運動者にあたるかどうかが峻別されなければならない。
選挙における葉書類の名宛書きと、発送の事務やポスターの掲示等とともに、放送員の行為も、候補者に直接間接有利な行為であり、正に、その本質は選挙運動に該当することは否定しないが、それらの行為にのみ従事する限りは、単なる機械的労務を行つたに過ぎず、買収罪におけるいわゆる選挙運動者にあたるとは考えられない。
法第一九七条の二も「選挙運動に使用する労務者」と謳つていて、その法意は、労務者の行為も選挙運動にあたるところではあるが、かゝる機械的な行為まで一切を無報酬の選挙運動者に期待するのは選挙運動の円滑な運営を期する所以でないとする見地から、これら労務に使用する労務者を認め、これに対する報酬及び実費弁償の支払を許したもので、要するに、それ自体、選挙運動報酬の授受なるにかゝわらず罰則に触れないとしたと解せられる。
次に、選挙運動にあたる放送員と、真に候補者を支持信奉し、その当選を期待してなす、熱心な運動者も考えられないではない。それは候補者の所属する組織団体員や候補者の親族らにこれを見ることができるが、それらには、放送労務以外の選挙運動をもかねていることが多いと考えても不思議はない。
しかしながら、特に、女性であつてその美声と目立つ服飾を期待され、臨時に雇われる放送員については、放送労務それ自体が目的であつてその他の選挙運動を期待しているものではない。
本件放送員である中川らは、元々候補者とは何等の関係はなく、右の如く、正に、放送労務のみを目的として雇われたもので、それは単なるレコード又は録音テープによる宣伝放送と何等変りはなく、たゞ肉声であるに過ぎない。
原判決は、前記のように、「通行人や場所的状況に応じてその呼びかけの回数・方法・演出等にも裁量の余地がないわけではないから」として本件放送員の行為を単なる機械的労務行為でないと認定しているが、元来、労務も人間の行為である以上、精神活動を全く伴わない労務はあり得ない筈で、放送員にその程度の自主判断がなされたとしても、実質において、機械的労務の範囲内の行為と認めて何等差障りはないと考える。
本件の如き、放送員の法的性格について、名古屋高等裁判所は「候補者とは格別利害関係なく、単に雇われ先の会社社長の命令とその美声に期待する選挙運動者側の墾望により、自動車上の拡声器により連呼を続ける行為をした者は、機械的な行為をしたものとして労務者であつて所定の報酬の供与を受け得るものである。」としている。(昭和三〇年五月三一日判決。高等裁判所判例集第八巻第六号七四九頁。)
原判決の放送員に対する法的性格の認定は、右判例と全く矛盾しており、事実 雇われ放送員を労務者と見ない限り、ますます、女性放送員の服装がスマートで華美となり演出効果をのみ狙う近時の選挙運動の方法を是認する以上これとそぐわないものがあろう。
以上のとおりで、原判決は、放送員の法的性格について事実を誤認し、その結果、法第二二一条第一項第四号及び法第一九七条の二の解釈適用を誤つた違法があり、かつ、他の高等裁判所の判例と矛盾した認定をなしたものである。
なお、これら放送員に対する報酬及び実費弁償額が法定の額を超過することがあつたとしても、即、全額につき買収罪を認め得ざることは、被告人が原審で主張したとおりで、真実労務者として使用した者に対する限りは、法定の選挙費用超過(法第二四七条。)など罰則規定に該ることあるは格別、違法の選挙運動者に対する報酬支払をもつて律すべきものにあらざること当然の事理である。
第二点 原判決は、本件が被告人岸本菊勇の単独犯であるのに共謀と認め、第一審判決の認定を是認したのは、事実を誤認したものであり、かつ、共謀に関する従来の最高裁判所の判例と矛盾した判断をしたものである。
原判決は「被告人前田の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、被告人岸本の検察官に対する供述調書によれば、被告人前田は昭和五〇年四月二六日ごろ、選挙事務所において、被告人岸本から前記中川、同山下、同佐藤、同伊藤らの稼動日数、金額を記載したメモを渡されその説明を受けたが、その際右記載の金額は放送の日当だけではなく、村家候補のため本人達は勿論、その家族らにも、投票してもらうための謝礼の意味も含まれている旨、打ち明けられ、被告人前田はこれを了承したうえ、候補者の妻のところへ行つて資金を調達し、これを右中川ら四名に支払つたことが認められるので、被告人両名の共謀の事実は明らかであつて、これが被告人岸本の単独犯行であるとの所論もまた是認できない」と認定し、第一審判決の認定を是認している。(判決書五枚目表。)
しかしながら、被告人ら両名の行為の実態を直視するならば、如何にしても、両者間に、いわゆる共謀に関し、従来から最高裁判所が判例としている「意思の連絡」即ち「共同犯行の認識」があつたとは認められない。
被告人岸本の警察官及び検察官に対する供述調書によれば、前記中川ら四名に対する労務賃の支払につき、これを発案し、かつ支給額を決定したのは被告人岸本自身であり、被告人前田は、被告人岸本に命ぜられて、金額を記載したメモに従い、いわば機械的に現金を用意し、封筒に入れ、一部自ら支給し、領収書を作成したに過ぎない。
もとより「共謀」は事前の打合せによる共同実行の意思連絡を要するものではないが、少くともその意思は双方に存することを要する。
ところが、本件では供与の意思は、被告人岸本のみに存し、被告人前田には共同実行の意思はなかつたと見なければならない。
原判決は、前記のように、被告人前田において、被告人岸本から、メモ記載の金額は「放送の目的だけでなく、村家候補のため本人達は勿論その家族らにも投票してもらうための謝礼の意味も含まれている旨打ち明けられ、被告人前田はこれを了承した……。」との供述を捉え、被告人前田の側にも意思連絡すなわち共同実行の意思を生じた如く認定されたが、それは単に、被告人岸本の犯行を認識したことの供述に過ぎず、共謀といゝ得るためには他人の犯行を認識したのみでは足らないのであり、被告人前田の供述を素直に見るとき、同人には積極的意欲をもつて共同実行をしようとする意思は全く認められず、真実は、機械的な事務に携つたに過ぎないのである。